タニワキ日記

情報通信技術(ICT)関連のコラムです。記事は筆者の個人的見解です。

政治的プロパガンダとインターネット

 2008年の米国大統領選挙は、インターネットを最大限活用した史上初の選挙となった。民主党の大統領候補であったオバマ氏を支持する若者たちはソーシャルメディアで連帯し、選挙用アプリを活用して支持層を拡大した。続く2012年の選挙では有権者の特性を分析(プロファイリング)し、最も効果的な手法とタイミングで支持層を拡大し、オバマ大統領の再選に大いに貢献した。オバマ陣営にはソーシャルメディアの専門家が多数起用され、インターネットを活用した「声なき声」の一般大衆が政治的なうねりを作り出す「草の根民主主義(grassroots democracy)」が実現したと喧伝された。

 

 しかし、2016年に行われた次の大統領選挙は様相が大きく変わった。ロシアが背景にいると言われるソーシャルメディアによるキャンペーンが広く行われ、偽情報が大量に流された政治的プロパガンダが活用され、これがトランプ大統領の当選に寄与したと言われている。1月19日(現地時間)、ツイッター社はロシアの企業がツイッターを使って実施した政治的プロパガンダについての調査結果を公表した。これによると、選挙期間中、ロシア政府につながりがあると見られている広告企業IRA(Internet Research Agency)社が開設したツイッター上のアカウントは約4千アカウントにのぼり、関連するボット(自動的にツイートするアカウント)は約5万アカウントにのぼった。そして、このIRA社関連のアカウントにコメントやRT(リツイート)したユーザーは約68万人に達したという。これらのアカウントは米国の世論を分断するようなコメントを多数つぶやき、これが世論に混乱を与え、民主党クリントン候補の支持率を下げることにつながったと指摘されている。

 

 この問題の根は深い。本年1月に公表されたシンクタンク「ニューアメリカ」はハーバード大ケネディスクールとの共同で「#デジタル欺瞞:インターネット上のプレシジョン・プロパガンダの背後にある技術」と題する報告書を公表した。タイトルにある「プレシジョン・プロパガンダ」という言葉は聴きなれない言葉だが、医療の分野では「プレシジョン・メディスン」という言葉が最近よく使われる。これは各患者の病気の症状などにあわせて最適化された薬を提供し、治療の効果を上げるオーダーメイド医療(精密医療)だ。「プレシジョン・プロパガンダ」とは、有権者一人ひとりの考えや特性に応じて最大の効果を上げるように政治的プロパガンダをオーダーメイドで提示していく「精密なプロパガンダ」という意味で使われている。

 

 こうした政治的プロパガンダを支えているのは、実はネット上の最新のマーケティング技術だと報告書は指摘する。インターネット上で個人がどのように行動しているのか、またスマートフォンなどを持ってどのような地域で活動しているのかといった情報を収集する行動分析、個人の好みに応じて検索結果の上位に最も適した結果を表示するSEO(Search Engine Optimization)という技術、また最適のタイミングで効果的に広告を表示するソーシャルメディアマネージメントソフトウェア、さらに個人の膨大な情報を分析するための人工知能などの最新のアルゴリズム技術を活用する。こうした技術は、消費者の行動や好み、考え方を分析し、その個人に最適な広告を提示し、その効果を最大化することに貢献している。

 

 今回の大統領選挙で使われた政治的プロパガンダは、こうしたマーケティング技術を最大限活用して有権者の特性を分析し、グループ化し、各グループに向けて最適な偽情報を流し、その効果の最大化を狙ったものだと報告書は指摘する。この問題の解決が極めて難しいのは、使われている技術が一般的なマーケティング技術であって使用を禁止することが難しいということ。また、ネット上の表現の自由を確保するためにコンテンツを全面的に表示しない措置を講じることが難しいことなども指摘されている。他方、フェイスブックなどのソーシャルメディアはこうした課題に対して対策を急いでいる。同社は、フィードに表示されるニュースは各利用者のニュースソースに対する評価を反映し、評価の高いものが多く表示されるような取り組みを開始すると発表した。

 

 インターネットの登場とその普及は明らかに個人の情報発信力と情報拡散の力を向上させ、個人のエンパワーメントに貢献してきた。同時にインターネットの普及は新しい産業を生み出し、全世界で知恵の共有を促してきた。ところが、同じツールが今回の大統領選を契機として民主主義の危機を招いているとの指摘が数多くなされ、議論を呼んでいる。果たして技術的な対策は成功するのか。社会の規範やルール作りが必要なのか。必要だとして、表現の自由報道の自由とのバランスは適切に保たれるのか。米国で行われている議論はインターネットの将来像を占う上でも重要なものであり、我々も議論を深めていく必要がある。(本稿中意見にわたる部分は筆者の個人的見解です)

 

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